私が韓国で住んだ街。
종각<鐘閣>、이대<梨大>、서울대입구<ソウル大入り口>、논현<論峴>。
釜山まで飛んで광안리<広安里>。
종각にいたのは98年〜2000年頃。私が17〜19歳の約3年間だった。
といっても学生だったので、長期間の滞在は難しかった。
夏休みや冬休みの1カ月を利用したり、高校3年生のときは、
先生に直談判し、卒業式までの数ヶ月間、通学を放棄して韓国に渡った。
종각では、とある人の紹介された旅館「우성장」に滞在することになった。
当時、H.O.Tや神話の追っかけ(懐かしい!)や、日本人バックパッカー、
종로<鐘路>の日本語学校で教師をする日本人のたまり場になっていた旅館である。
1泊10,000ウォン。30日泊まるから安くしてよと言うと、
おばさんはいつも7,500ウォンまでまけてくれた。
もちろん素泊まりの宿なのだけれど、1カ月間の滞在を何度か繰り返すうちに、
家族の朝食に呼んでくれるようになった。
家族といっても私と歳の近い無口な息子1人。いつも3人で朝食を食べた。
おばさんとの思い出はたくさんあって、
毎朝食後に出てくる、おばさん手作りの식혜が口に合わず、いかに飲まずにすむかと本気で悩んだり。
총각김치が大きな塊で出てくるので、食べるのに苦労していると、
「그냥 먹어~<そのまま食べなさい>」といって、むりやり口に突っ込まれたり。
トイレに大きなゴキブリが2匹同時に現れて絶叫する私を横目に、
スリッパで瞬殺してくれたり。
お客さんがいない日にはウォーターベッドの部屋で寝かせてくれたり。
お昼まで寝ている私を叩き起こして、うどんを食べに連れて行ってくれたり。
当時を思い返すと、小さいけれどたくさんの思い出が溢れてくる。
その後の韓国生活で5つの街に住んだけれど、この旅館「우성장」と종각の街の思い出は、「私と韓国」の原点であり、それはいつまでも変わらない。
ところで先日、韓国出張中にふと思い立ち、旅館のおばちゃんに会いに行った。
旅館のあった一角はすべて取り壊されて再開発の準備中だった。
おばさんにはもう会うことはないだろうけれど、
どこかで、たくましく、幸せに生きていてほしいなと思う。
その2 이대<梨大>につづく(?)
【彩】